芸能人や政治家の不倫騒動や不倫ドラマがもてはやされる昨今。

今では不倫はバレれば社会的制裁を受け、当事者同士の間の示談で解決するのが当たり前ですが、日本でも不倫は当たり前の時代もあれば、国から処罰を受けていた時代もあったのです!

平安時代以前は、不倫は当たり前!?

古代日本においては「家」という制度がそんなにしっかりしていたわけではなく、夫がいつも妻の家にいるわけでもなし、夫が他の女性の家に行っている間に妻の元には他の男性が来ていたり、男性が恋人の家に行けばすでに他の男性が来ていたり、というのが日常茶飯事でした。

しかしそれを夫や妻が声高に訴えたり公にするような時代ではなく、そういった内容の歌が古今和歌集にも沢山残っているのです。

平安時代も然り、男性は多くの女性の元へ通うのがむしろ常識とされ、一人の女性しか愛さないという男性は甲斐性が無いとして軽くあしらわれていました。

どちらかというと、世界の国々の中でも日本は性に関して非常におおらかで、純潔というものに重きを置くというよりはセックスを楽しむ文化だったのです。

処罰が下るようになったのは鎌倉時代から

武家文化が始まり、政治的な役職に自分の子孫を継がせることが重要視されていた時代、不倫は正式に法律違反となります。

御成敗式目第34条において不倫に関する処罰が規定されました。

内容は、人妻と不倫をした御家人は所領の半分を没収されるという結構厳しめの内容。

ただ、武家においては処罰の対象でしたが、庶民の間では配偶者以外と関係を持つのはそうそう珍しいことでもなかったようです。

戦国時代に突入すると、夫は妻を寝取った男を切り捨ててもオッケー!ということにまで発展していきます。

江戸時代、不倫はついに死刑に!

藩主とその家臣たちを共に江戸と自分の領地とで行き来させる参勤交代の時期は、まさに不倫の季節だったようです。

夫の居ぬ間に屋敷内で妻と使用人が・・・そして見つかっては切り殺される、という事件が相次いだようです。

ちなみに、不倫の罰則は男女共に死罪。

女性は斬首刑に、男性は裸馬に乗せられて市中を引き回しされたあげく、斬首した首を三日間さらされるというもの。

なので、不倫がバレてしまうのを恐れた妻と間男が心中するという事件も勃発しました。

江戸中期になると、あまりに死罪は重く、処罰対象の人数も多すぎるということとなり、不倫の処罰は労役刑と変わります。

不倫をした女性は吉原遊郭に売られ、数年間遊女として働くことになりました。

間男の方はというと、示談金(現代の約50万円)を夫に払って解決、という道が一般になりました。

一方上流階級では、跡継ぎを産むという名目で側室制度というものがあり、正式な妻の他に複数の妾を持つことがよしとされていました。

それがドラマでよく見る大奥の世界です。

明治時代初期の不倫は、刑罰が女性にのみ課される

明治時代旧刑法では「姦通罪」として、夫があって不貞を働いた妻のみに処罰が与えられました。

刑罰の内容は死罪。なのに、男性にはなんのお咎めもなかったのです。

不倫が刑法から民法になったのは昭和になってから!

女性のみが処罰を受ける時代が終わったのは昭和に入って第二次世界大戦後。

日本国憲法で男女平等が定められ、姦通罪は男女平等ではないと憲法に違反するとして廃止になりました。

日本で不倫が死罪になる時代があったなんて!不倫するにも命がけです。

不倫が当たり前の時代から、実刑が下されるようになったり、時代によって不倫の位置づけは大分違うようですね。

今後の日本では不倫の歴史はどう変わっていくのか、少し楽しみだな~と思ってしまう筆者でした。